2012-08-09
豊時義
豊時義(ぶんのときよし)。
父は時鄰。(系図)『日本音楽大辞典』の系図には、5人の子の名がありますが、4人早世とあり、時房という子も楽道を継ぎませんでした。
明治6年7月17日、出生。(『現代音楽大観』)
明治17(1884)年11月14日、雅楽生となります。(『現代音楽大観』)
明治21(1888)年5月19日の官制改革により、伶人となります。(『現代音楽大観』)
明治23(1890)年12月23日、楽生を申し付けられます。(『現代音楽大観』)
明治28(1895)年12月26日、伶人兼楽手となります。(『現代音楽大観』)
明治31(1898)年、雅楽手兼楽手となります。(『明治国家と雅楽』)
明治37(1904)年12月14日、雅楽師兼楽師となります。(『現代音楽大観』)
明治40(1907)年10月31日の官制改革により、楽師となります。(『明治国家と雅楽』)
昭和7(1932)年、楽長となります。(『明治国家と雅楽』)
昭和11(1936)年、退官します。(『明治国家と雅楽』)
昭和12(1937)年、帝国芸術院の会員になります。(『楽家類聚』)
昭和26年4月24日、死亡。享年79。従六位勲六等。(『雅楽通解 楽史篇』)持ち管は笛、西洋楽器はチューバ・コントラバス。(『明治国家と雅楽』)
父は時鄰。(系図)『日本音楽大辞典』の系図には、5人の子の名がありますが、4人早世とあり、時房という子も楽道を継ぎませんでした。
明治6年7月17日、出生。(『現代音楽大観』)
明治17(1884)年11月14日、雅楽生となります。(『現代音楽大観』)
明治21(1888)年5月19日の官制改革により、伶人となります。(『現代音楽大観』)
明治23(1890)年12月23日、楽生を申し付けられます。(『現代音楽大観』)
明治28(1895)年12月26日、伶人兼楽手となります。(『現代音楽大観』)
明治31(1898)年、雅楽手兼楽手となります。(『明治国家と雅楽』)
明治37(1904)年12月14日、雅楽師兼楽師となります。(『現代音楽大観』)
明治40(1907)年10月31日の官制改革により、楽師となります。(『明治国家と雅楽』)
昭和7(1932)年、楽長となります。(『明治国家と雅楽』)
昭和11(1936)年、退官します。(『明治国家と雅楽』)
昭和12(1937)年、帝国芸術院の会員になります。(『楽家類聚』)
昭和26年4月24日、死亡。享年79。従六位勲六等。(『雅楽通解 楽史篇』)持ち管は笛、西洋楽器はチューバ・コントラバス。(『明治国家と雅楽』)
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