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2020-09-14

安倍氏の歴史 1(先史)

安倍氏の自出について、『地下家伝』に、「孝昭天皇御子、天足彦国押人命後胤、和安倍朝臣」とあります。

孝昭天皇は第5代天皇。欠史八代の一人で、実在性については疑問視する説もあります。

その子が、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと。『古事記』では天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと))と孝安天皇です。

和安倍(やまとのあべ)朝臣は、この天足彦国押人命の後裔とします。『日本書紀』では、天足彦国押人命を「和珥臣(わにのおみ)等の始祖」とし、『古事記』では「春日臣、大宅臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟耶臣、都怒山臣、伊勢の飯高君、壱師君、近淡海国造の祖である。」とあり、和安倍臣としては記紀に明記されていません。

しかし、『新撰姓氏録』には、和安部朝臣を「大春日朝臣(春日臣から賜姓変更)と同祖」とし、記紀に上げる和珥(和邇とも)の氏族の系統であることがわかります。出自は「彦姥津命三世孫難波宿祢の後である。」とあります。「彦姥津命五世孫米餅舂大使主命の後である。」とする和安部臣もありますが、楽家の安倍氏は朝臣としていますので、前者ということでしょう。この氏族が朝臣になったのは、神護景雲2(768)年閏6月5日で、『続日本紀』に「左京人従六位下和安部臣男綱等3人に、和安部朝臣を賜姓する。」とあります。和安倍から、単に安倍に改めた時期は不詳です。

『新撰姓氏録』には、同族に和爾部宿祢があり、篳篥の名人を輩出した和邇部氏とは同族のようです。

なお、後に安倍に改める阿倍朝臣は、『新撰姓氏録』に「孝元天皇の皇子。大彦命の後である。」とあり、『日本書紀』にも、「兄の大彦命、これは阿倍臣・膳臣・阿閉臣・狭々城山君・筑紫国造・越国造・伊賀臣、およそ7族の始祖である。」とありますので、阿倍倉梯麻呂・阿倍引田臣比羅夫・阿倍仲麻呂等の阿倍氏は別の氏族になります。この阿倍臣が朝臣を賜るのは、和安部臣に先立つ天武天皇13(684)年11月1日で、この時52氏が一斉に朝臣を賜っています。
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