2017-12-29
芝祐泰
芝祐泰(しばすけひろ)。
父は芝祐夏。子に芝祐久、芝祐順、芝祐靖がいます。ただし、祐順は雅楽の道に進まず、東大で心理学を学び、東京大学教育学部教授を定年まで努めました。また、その子芝祐二も雅楽に進みませんでした。
『雅楽通解』に、母方の伯父が奥好寿・奥好義とあることから、母は奥好学の娘ということでしょう。
明治31(1898)年3月19日、出生。(『雅楽通解』)
明治45(1912)年4月、上野音楽学校に入学します。(『雅楽通解』)
大正2(1913)年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)予科に入学。(『楽家類聚』)
大正3(1914)年、雅楽稽古所の楽生募集があり、入学。東京音楽学校予科は退学します。(『楽家類聚』)『現代音楽家総覧』に6月30日とあります。
大正10(1921)年4月14日、雅楽練習所を卒業し、5月10日楽師に任じられます。(『現代音楽家総覧』)『雅楽通解』ではいずれも6月。
大正12(1923)年12月25日、東洋音楽学校ヴァイオリン課講師を嘱託されます。(『現代音楽家総覧』)
昭和23(1948)年、昭和22年度日本芸術院賞を受賞します。
昭和25(1950)年4月12日、楽部の楽長になります。(『雅楽通解』)
同年12月15日、日本芸術院会員になります。(『雅楽通解』)
昭和30(1955)年、楽部を依願退職します。(『楽家類聚』)満57歳の年になります。
昭和31(1956)年、国立音楽大学の教授となります。(『雅楽通解』)『楽家類聚』では昭和32年とします。東洋音楽史と雅楽理論を担当とあります。
昭和40(1965)年、日本芸術院の第三部長に就任します。(『20世紀日本人名事典』)
昭和42(1967)年、『雅楽通解』刊行。(『明治国家と雅楽』)
昭和43(1968)年、勲三等旭日中綬章を受章します。(『20世紀日本人名事典』)
昭和48(1973)年、国立音楽大学を退職します。(『楽家類聚』)
昭和57(1982)年10月10日、死亡。(『20世紀日本人名事典』)84歳。(『楽家類聚』)担当は、雅楽器が笛、西洋楽器がフルート、ヴァイオリン、ヴィオラ。(『明治国家と雅楽』)
父は芝祐夏。子に芝祐久、芝祐順、芝祐靖がいます。ただし、祐順は雅楽の道に進まず、東大で心理学を学び、東京大学教育学部教授を定年まで努めました。また、その子芝祐二も雅楽に進みませんでした。
『雅楽通解』に、母方の伯父が奥好寿・奥好義とあることから、母は奥好学の娘ということでしょう。
明治31(1898)年3月19日、出生。(『雅楽通解』)
明治45(1912)年4月、上野音楽学校に入学します。(『雅楽通解』)
大正2(1913)年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)予科に入学。(『楽家類聚』)
大正3(1914)年、雅楽稽古所の楽生募集があり、入学。東京音楽学校予科は退学します。(『楽家類聚』)『現代音楽家総覧』に6月30日とあります。
大正10(1921)年4月14日、雅楽練習所を卒業し、5月10日楽師に任じられます。(『現代音楽家総覧』)『雅楽通解』ではいずれも6月。
大正12(1923)年12月25日、東洋音楽学校ヴァイオリン課講師を嘱託されます。(『現代音楽家総覧』)
昭和23(1948)年、昭和22年度日本芸術院賞を受賞します。
昭和25(1950)年4月12日、楽部の楽長になります。(『雅楽通解』)
同年12月15日、日本芸術院会員になります。(『雅楽通解』)
昭和30(1955)年、楽部を依願退職します。(『楽家類聚』)満57歳の年になります。
昭和31(1956)年、国立音楽大学の教授となります。(『雅楽通解』)『楽家類聚』では昭和32年とします。東洋音楽史と雅楽理論を担当とあります。
昭和40(1965)年、日本芸術院の第三部長に就任します。(『20世紀日本人名事典』)
昭和42(1967)年、『雅楽通解』刊行。(『明治国家と雅楽』)
昭和43(1968)年、勲三等旭日中綬章を受章します。(『20世紀日本人名事典』)
昭和48(1973)年、国立音楽大学を退職します。(『楽家類聚』)
昭和57(1982)年10月10日、死亡。(『20世紀日本人名事典』)84歳。(『楽家類聚』)担当は、雅楽器が笛、西洋楽器がフルート、ヴァイオリン、ヴィオラ。(『明治国家と雅楽』)
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