2018-04-30
宮商荊仙楽
宮商荊仙楽は、平調または盤渉調に属した廃絶曲です。
『倭名類聚抄』では平調としますが、『夜鶴庭訓抄』では盤渉調とします。
『倭名類聚抄』では、俗に荊仙楽という、ともあります。
読みは、「きゅうしょうけいせんらく」でしょうか。
由来や内容など、不詳です。
なお、荊山であれば、河南省にある山で、黄帝が鼎を作ったとされるところで、完璧の由来となる和氏の璧の原石を卞和が見つけた山も荊山とされます。荊山之玉という言葉もあるようです。
『古今著聞集』には、延喜21年10月18日、八条大将(藤原保忠)が中納言であった時、勅を受け給わって普段演奏しない舞を御覧になったとありますが、その中に刑山楽が挙げられています。これは宮商荊仙楽のことと思われます。
『倭名類聚抄』では平調としますが、『夜鶴庭訓抄』では盤渉調とします。
『倭名類聚抄』では、俗に荊仙楽という、ともあります。
読みは、「きゅうしょうけいせんらく」でしょうか。
由来や内容など、不詳です。
なお、荊山であれば、河南省にある山で、黄帝が鼎を作ったとされるところで、完璧の由来となる和氏の璧の原石を卞和が見つけた山も荊山とされます。荊山之玉という言葉もあるようです。
『古今著聞集』には、延喜21年10月18日、八条大将(藤原保忠)が中納言であった時、勅を受け給わって普段演奏しない舞を御覧になったとありますが、その中に刑山楽が挙げられています。これは宮商荊仙楽のことと思われます。
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2018-04-29
安弓士
安弓士(あんきゅうし)は、性調に属する遠楽です。
読みは『楽家録』に「あんきうし」、または「あくし」とあります。「一本、按弓士。一名、安公子。」ともあります。『仁智要録』では案ともします。
『教坊記』には、大曲として安公子が見え、天宝十三載の唐の太楽署の曲目録には、「太簇角」の曲の中にも安公子は見えます。同曲でしょうか。
構成について、『仁智要録』には、「拍子12。南宮・長秋卿の横笛譜には、五返吹くべし。合わせて拍子60。ただし、2返の後、詠3返。その後、4返から三度拍子を打つ。中曲。古楽。南宮譜には「古に善くこの曲を舞う者、阿刀真弟麿あり。」とあります。昔は舞があったようです。
『楽家録』では、新楽とし、鞨鼓を打つとしますが、一本古楽、ともあります。
『古今著聞集』には、延喜21年10月18日、八条大将(藤原保忠)が中納言であった時、勅を受け給わって普段演奏しない舞を御覧になったとありますが、その中に弓士が挙げられています。これは安弓士のことと思われます。
読みは『楽家録』に「あんきうし」、または「あくし」とあります。「一本、按弓士。一名、安公子。」ともあります。『仁智要録』では案ともします。
『教坊記』には、大曲として安公子が見え、天宝十三載の唐の太楽署の曲目録には、「太簇角」の曲の中にも安公子は見えます。同曲でしょうか。
構成について、『仁智要録』には、「拍子12。南宮・長秋卿の横笛譜には、五返吹くべし。合わせて拍子60。ただし、2返の後、詠3返。その後、4返から三度拍子を打つ。中曲。古楽。南宮譜には「古に善くこの曲を舞う者、阿刀真弟麿あり。」とあります。昔は舞があったようです。
『楽家録』では、新楽とし、鞨鼓を打つとしますが、一本古楽、ともあります。
『古今著聞集』には、延喜21年10月18日、八条大将(藤原保忠)が中納言であった時、勅を受け給わって普段演奏しない舞を御覧になったとありますが、その中に弓士が挙げられています。これは安弓士のことと思われます。
2018-04-28
長命女児
長命女児(ちょうめいじょじ)も、性調に属した遠楽です。
読みは、『楽家録』に「ちやうめいじょじ」とあります。一本に児がないとします。
長命女とすると、『教坊記』にあり、また、天宝十三載の唐の太楽署の曲目録にも、「林鐘羽時号平調」の曲の中に見えます。調子も合うので、この曲のことでしょうか。
『仁智要録』によると、「拍子10。南宮・長秋卿の笛譜によると、4返吹くべし。合わせて拍子40。ただし、三返の後に詠が3返ある。その後、終帖に三度拍子を打つ。中曲、新楽。」とあります。
また、『体源抄』によると、千金女児とともに、産所に用いる曲とあります。名前によるものでしょう。
『全唐詩』の雑曲歌辞に、長命女があります。
雲送関西雨、風伝渭北秋、孤燈然客夢、寒杵搗郷愁。
読みは、『楽家録』に「ちやうめいじょじ」とあります。一本に児がないとします。
長命女とすると、『教坊記』にあり、また、天宝十三載の唐の太楽署の曲目録にも、「林鐘羽時号平調」の曲の中に見えます。調子も合うので、この曲のことでしょうか。
『仁智要録』によると、「拍子10。南宮・長秋卿の笛譜によると、4返吹くべし。合わせて拍子40。ただし、三返の後に詠が3返ある。その後、終帖に三度拍子を打つ。中曲、新楽。」とあります。
また、『体源抄』によると、千金女児とともに、産所に用いる曲とあります。名前によるものでしょう。
『全唐詩』の雑曲歌辞に、長命女があります。
雲送関西雨、風伝渭北秋、孤燈然客夢、寒杵搗郷愁。
2018-04-27
2018-04-26
永隆楽
永隆楽(えいりゅうらく)は、平調に属する遠楽です。
読みは、『楽家録』に「えいりうらく」とあります。
『教訓抄』によると、「これは、左大臣(源)信相が作った。仁明天皇の時。ただし、左大臣信卿、勅勘を蒙り免じられる日に作ったのである。一説には、唐の永隆がこれを作る。人名に付くか。信は改作されたのか。」とあります。唐の永隆は年号でしょう。680年から681年です。
『楽考』には、「(豊原)統秋は「左大臣源信が作る。一説に唐永隆年中に作ったものという。そうであれば、それを改めて作ったのか。考えるに、永隆は高宗の年号で、その時に作られた楽は7曲である。しかし、その中に永隆の曲名はない。」とあります。
『仁智要録』に、「拍子は10。新楽。舞なし。」とあり、また、『教訓抄』に「只拍子あり。三度拍子を加える。」とあります。
延八拍子、拍子10、末4拍子加の曲でした。
読みは、『楽家録』に「えいりうらく」とあります。
『教訓抄』によると、「これは、左大臣(源)信相が作った。仁明天皇の時。ただし、左大臣信卿、勅勘を蒙り免じられる日に作ったのである。一説には、唐の永隆がこれを作る。人名に付くか。信は改作されたのか。」とあります。唐の永隆は年号でしょう。680年から681年です。
『楽考』には、「(豊原)統秋は「左大臣源信が作る。一説に唐永隆年中に作ったものという。そうであれば、それを改めて作ったのか。考えるに、永隆は高宗の年号で、その時に作られた楽は7曲である。しかし、その中に永隆の曲名はない。」とあります。
『仁智要録』に、「拍子は10。新楽。舞なし。」とあり、また、『教訓抄』に「只拍子あり。三度拍子を加える。」とあります。
延八拍子、拍子10、末4拍子加の曲でした。
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