2017-05-28

狛有光

狛有光。こまのありみつ、でしょう。

『体源抄』によると、実の父は狛有時で、祖父狛光久の猶子となり跡を継ぎます。

1167年(初任官年から)または1168年(没年から)、出生。

正治元(1199)年、33歳で雅楽属に任じられます。(『楽所補任』)

建保6(1218)年12月12日、52歳で任じられるとありますが、官名が漏れています。(『楽所補任』)後の記述から右兵衛尉と思われます。

貞永元(1232)年の時点で、笛5。伎楽吹とあります。65歳。光久二男。(『楽所補任』)『教訓抄』に伎楽8曲を伝えるとあります。

仁治元(1240)年2月8日、死亡。73歳。右兵衛尉。7日に京から下向の時、高座岡より所労に付く(=病気になる)とあります。(『楽所補任』)京都府木津川市に市坂高座があり、街道沿いとおもわれますので、ここでしょう。
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2017-05-27

狛有時

狛有時。こまのありとき、でしょう。

父は狛光久。子に狛有光がいますが、父光久の猶子となり、有久が父の跡を継ぎます。

生没年ともに不詳です。

建仁元(1201)年、「将曹、雅楽属」とあります。(『楽所補任』)

建永元(1206)年、籠居となります。(『楽所補任』)

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2017-05-26

狛光久

狛光久。こまのみつひさ、でしょう。

父は狛行光。子に狛有時、狛有光があるのは共通するのですが、系図によりその他が相違します。伏見宮旧蔵『楽家系図』には、他に景時、光方があり、『体源抄』には有信があります。なお、有光は有時の子で猶子としたとあります。

光方について、光賢と同音です。狛光近の外孫とされます。光久は光時から舞の相伝を受けていますが、通常嫡流が庶流の傍系に相伝するとも思えません。光賢の実父が光久で、実母が光近の娘とすると、光久は光時の孫娘の聟となり、相伝されてもおかしくありません。ただし、系図記載の経歴が相違しますので、不明です。

1124(保安5、天治元)年、出生。(任官年からの逆算)

天養元(1144)年12月20日、21歳で左近府生に任じられます。「元笛吹であるが、舞人とする。行光男、光時の弟子。」とあります。(『楽所補任』)父の行光は狛行高の養子で笛吹とありますので、父からは笛のみを伝えられたのでしょう。狛光時の弟子となって、舞も伝えるようになったということでしょう。

仁安3(1168)年まで名前が見えます。(『楽所補任』)

系図に「雅楽属」とあり、この後、雅楽属になったのでしょうか。

没年不詳です。

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2017-05-25

狛行光

狛行光。こまのゆきみつ。

狛行高の養子となります。『楽所補任』に「養子となり改姓」とあることから、元は狛氏ではなかったのでしょう。子に狛行正、狛光久がいますが、行正の経歴は不詳です。光弘の名があるのもありますが、よくわかりません。

養父の行高から龍笛を、戸部氏から伎楽笛を相伝したとされます。

寛治6(1092)年、出生。(『楽所補任』)

『教訓抄』の賀殿の項に、狛行光は16歳で父から賀殿の曲を習い、その後春日大社へ参詣の度ごとに、方々に立ち寄って、ひそかにこの曲を舞って奉納していた。年月を経た後、重病を受けて死亡した。しかし、冥途に赴くも、年来春日明神を深く崇敬していたことから、神の導きにより地獄を見た後、父母に孝養するために蘇生したとの話があります。また、『三条西家重書古文書』の『楽所系図』の注には、「行光、13歳から願を立て、毎日春日大社の社壇において、萬歳楽・賀殿・甘州の3曲を欠くことなく奏していた。しかし、19歳で死去した。大明神が童子の容貌で現れ、閻魔王に命乞いをなされたので、忽ち蘇生した。」とあります。

保安3(1122)年8月10日、31歳で左近府生に任じられます。「笛吹。行高の養子となり改姓。」とあります。(『楽所補任』)笛吹とありますので、舞はしなかったのでしょう。

保延5(1139)年1月24日、48歳で雅楽属に任じられます。雅楽寮の楽器を修理した功績によるとし、藤井清方の例によるとあります。(『楽所補任』)

仁平2(1152)年8月14日、病気のため出家します。(『楽所補任』)

同年9月2日、死亡。61歳。(『楽所補任』)伏見宮旧蔵『楽所系図』には「「第六代」笛音頭」とありますので、笛の一者であったのでしょう。

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2017-05-24

狛行時

狛行時。こまのゆきとき、でしょう。

父は狛行高。『日本音楽大辞典』「日本雅楽相承系譜(楽家編)」子に狛行兼がいるとされますが、経歴不詳です。

1104年、出生。(任官年からの逆算)

保延元(1135)年11月29日、32歳で左近府生に任じられます。(『楽所補任』)

保延4(1138)年、登美行方への刃傷事件により、長者宣があり出仕を留められます。(『楽所補任』)

保延5(1139)年9月、免じられます。(『楽所補任』)

嘉応2(1170)年、左近将曹に任じられます。(『楽所補任』)

安元2(1176)年10月、死亡。72歳。(『体源抄』)『体源抄』の系図には「将監」とありますが、どうでしょう。

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