2017-04-17

狛光朝

狛光朝。こまのみつとも、でしょうか。

狛光近の養子となります。実の父は多忠節で、その二男とされます。

1153(仁平3)年、出生。(没年からの逆算)

仁安2(1167)年2月1日、内舎人に任じられます。(『楽所補任』)

嘉応2(1170)年、左近将曹に任じられます。(『楽所補任』)

治承元(1177)年3月5日、熊野道において死亡。25歳。(『楽所補任』)
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2017-04-16

狛光景

狛光景。こまのみつかげ、でしょう。

光時の外孫で、養子となります。実の父は東大寺の僧、恵継です。

生没年不明です。

保元2(1157)年4月20日、左近府生に任じられます。(『楽所補任』)系図に「府生」とあるので、昇格はなかったのでしょう。これ以外の経歴は不明です。

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2017-04-15

狛光経

狛光経。こまのみつつね、でしょう。光常とするものもあります。

父は狛光宗の子。ただし、狛光家の子にも、光経の名がみえます。『楽所補任』には、次の記録があります。

①安貞2(1228)年、18歳で右衛門志に任じられます。光家の子(『楽所補任』)
②貞永元(1232)年、「光宗一男」とあり。(『楽所補任』)
③建長5(1253)年1月17日、44歳で左兵衛尉に任じられます。(『楽所補任』)

①と③に年齢が有りますが、逆算すると①は1211年生まれ、③は1210年生まれ。同時に同名がいるとも思えませんので、誤差の可能性があります。同一の人物でしょう。光家の実子で、光宗の養子でしょうか。あるいは、そもそも光家が誤記でしょうか。

『体源抄』や伏見宮旧蔵の『楽家系図』、『続群書類従』の『狛氏系図』には、光宗の子の位置にしかありません。

ここでは、光家の実子で、光宗の養子になったものとします。

弘安7(1284)年4月27日、死亡。75歳。(『体源抄』)

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2017-04-14

狛光宗

狛光宗。こまのみつむね、でしょう。

父は狛光重。狛光家の子の狛光経を養子としたものと、ここでは考えます。

陵王荒序を父から伝えられますが、『体源抄』「代々公私荒序所作の事」には演奏記録がありません。

1177(安元3、治承元)年、出生。

承元3(1209)年、33歳で左衛門少志に任じられます。(『楽所補任』)

建保6(1218)年1月16日、42歳で右兵衛尉に任じられます。(『楽所補任』)

貞応2(1223)年の段階で、左5。(『楽所補任』)

伏見宮旧蔵の『楽家系図』には、左近将監とあります。

貞永元(1232)年3月2日、死亡。56歳。(『体源抄』)

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2017-04-13

狛光重

狛光重。こまのみつしげ、でしょう。伏見宮旧蔵の『楽家系図』には、「祢判官と号す」とあります。

没年から逆算すると、出生は1128(大治3)年となります。

同年に出生したと算出される者に、狛光弘がいます。『楽所補任』に光時の子とありますが、『体源抄』や伏見宮旧蔵の『楽家系図』には見えません。『楽所補任』によると、光弘は酒乱で追放されたとあり、一方、光重の最初の記述に「還任」とありながらそれ以前の記録がないことから、この光弘と光重は同一人物なのではないかと考えます。

このため、ここでは、同一人物として取扱います。

狛光時の子とする系図が多いですが、『体源抄』には「光時孫、光忠男なり。」とあり、孫を養子としたものと書かれています。狛光忠は狛光成の子にありますが、世代が違います。狛光時の子に光忠がいたのではないでしょうか。子に光宗があります。

荒序について、『荒序舞相承』には、親の光時ではなく、狛光近の弟子の藤原顕長中納言(1118-1167)からの相伝とありますが、罫線の誤りの可能性が高いと思われます。光時からではないかと思われます。その後、子の光宗に伝えました。

1128(大治3)年、出生。(没年、任官年からの逆算)

久安3(1147)年4月、20歳で左近府生に任じられます。(『楽所補任』光弘記事)

仁平元(1151)年4月、酒乱により自害を企てたことから、狛姓から追放され、出仕を停められました。一家親族から証判を取ったとあります。(『楽所補任』光弘記事)

保元3(1158)年、左近府生に還任されます。(『楽所補任』以下、光重記事)

永万元(1165)年1月、左近将曹に任じられます。(『楽所補任』)

文治4(1188)年、春の除目において、61歳で左近将監に任じられます。(『楽所補任』)

建久7(1190)年3月26日、内裏の賭弓で陵王荒序を舞いました。(『体源抄』)

建久8(1197)年、常楽会において大衆の下知により陵王荒序を舞いましたが、五位に叙されませんでした。(伏見宮旧蔵『楽家系図』)『体源抄』の記録では、この2回です。

建久9(1198)年、71歳で左一者になります。(『楽所補任』)

正治元(1199)年11月27日の朝覲行幸の勧賞で五位に叙されます。2月14日夜中風ともあります。(『楽所補任』)

正治2(1200)年7月17日、死亡。73歳。一者2年。(『楽所補任』)

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