2017-03-23

狛則助

狛則助。こまののりすけ、でしょう。

狛光則の子とされますが、『楽所補任』には、「実は捨て子を養子に取った」ともあります。子に狛光助がいます。

狛嫡流の秘曲、陵王荒序について、光則から相伝を受けています。また、子の光助に伝授しています。(『荒序舞相承』)

1114(永久2)年、出生。(没年から逆算)

大治5(1130)年11月、17歳で左近府生に任じられます。(『楽所補任』)

長承元(1132)年8月22日、内裏の舞御覧で陵王荒序を舞っています。この後4回の記録があります。(『体源抄』)

久安元(1145)年、32歳で左近将曹に任じられます。(『楽所補任』)

久寿2(1155)年6月1日、死亡。42歳。(『楽所補任』)
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2017-03-22

狛則友

まず、早くに楽から離れる光則の家系から。

狛則友、こまののりとも、でしょう。

父は狛光則。狛則助を子とする系図と兄弟とする系図があります。『楽所補任』に、則助につき「光則二男。実は棄て子を養子に取る。」とあることから、子ではなく、義理の兄弟となります。

1087(応徳4、寛治元)年、出生。(没年からの逆算)

保安3(1122)年8月11日、36歳で左近府生に任じられます。相撲節会の日に舞人が不足していたためとあります。(『楽所補任』)

久安3(1147)年5月、陸奥下向。以後出仕せず。61歳。(『楽所補任』)奥州藤原氏全盛の頃であり、そちらに呼ばれたのでしょうか。

没年はわかりません。

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2017-03-21

狛行貞

狛行貞(こまのゆきさだ)。

狛光季の外孫で、養子となりました。『楽所補任』に「故光季孫、光則弟なり」とあります。実の兄弟ということでしょう。子に狛光行がいます。

承保2(1075)年、出生。(『楽所補任』)

永久元(1113)年の段階で、無官ながら楽所に補任されています。(『楽所補任』)

永久(1116)4年8月、左近府生に任じられます。(『楽所補任』)

天養元(1144)年8月15日放生会の日、左右舞人が協議し、楽所を追放されます。これは、近来大阪の四天王寺に居住し、四天王寺の舞人として楽人と同座して行列することは、先例がなく、集会前にたびたび制止したけれども、了承しなかったためとあります。その後、天王寺に住みました。(『楽所補任』)

貞永2(1233)年の地券には、土地の売買書類に過去の所有者として「大仏殿堂童子二﨟狛行貞」と見えます。(『東大寺文書』)

久安6(1150)年3月6日、死亡。75歳。(『楽所補任』)

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2017-03-20

狛友光

狛友光(こまのともみつ)。

父は狛光季とされますが、光季の子とされる狛光貞・狛光則、狛行貞のいずれもが孫を養子としたものであり、友光も養子でしょう。伏見宮旧蔵の『楽家系図』では外孫とあります。

延久4(1072)年、出生。(『楽所補任』)

長治元(1104)年3月3日、宇治の平等院一切経会において、輪台を舞っています。(『中右記』)

嘉承2(1107)年1月3日、朝覲行幸において舞人に名が挙がっています。(『師時卿記』)

天仁2(1109)年9月6日、法皇の高陽院行幸の際に競馬があり、「籌[夾刂]近衛府生、左友光」と見えます。

天永元(1110)年の時点でも、左近府生とあります。(『楽所補任』)

天養元(1144)年2月10日、病により出家。同29日死亡。73歳。近来は宮中の楽所には来ず、興福寺ばかり、とあります。(『楽所補任』)

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2017-03-19

狛光則

狛光則(こまのみつのり)。

『狛氏系図』など、光季の子としますが、『続古事談』に、「光末また男子がいなかった。女子の子として、光貞、光則がいた。」とあり、光貞と同様、孫で養子に入ったものと思われます。

実父について、孫の狛光助が須波あるいは酒波に姓を改めてこの道を離れていますが、光貞の父は酒浪友忠とされます。光則自信も酒浪の血を引いていたのではないでしょうか。このため、光貞とは実の兄弟であったのではないでしょうか。

子に狛則友がいます。

『続古事談』には、「光則には、わずかに半分教えたけれども、光末は70歳あまりである。教え終えることはできないであろう。」とあります。ただし、光季は88歳まで生きましたので、伝えることができたでしょう。また、『荒序舞相承』の系譜にも名があり、狛嫡流の秘曲である陵王荒序を伝えました。罫線が引かれていませんが、父の光季からでしょう。子の則助と藤原為通(1112-1154)に伝えました。なお、為通の注には「伊通公の子、参議、保延の賭弓で舞う。忠基が吹く。」とあります。

1069年(治暦5年/延久元年)、出生。(没年からの逆算)

天永元(1110)年の時点で、左近府生で、左の三者でした。(『楽所補任』)

天永3(1112)年、左の二者となります。(『楽所補任』)養父光季の死によります。

永久3(1115)年1月、47歳で左近将曹に転任しました。(『楽所補任』)

永久4(1116)年、右近将曹に転任とあります。(『楽所補任』)

保安元(1120)年3月30日の賭弓において、陵王荒序を舞っています。大雨で三切のみとあります。その後、7回、あるいは8回舞っています。(『体源抄』)

同年8月、一者となります。52歳。(『楽所補任』)狛行高の死によります。

保安2(1121)年2月29日、陵王の勧賞で、左近将監に任じられました。(『楽所補任』)

大治3(1128)年3月13日、円勝寺供養の日、秦王を舞い栄爵を蒙り、子の則友に譲りました。(『楽所補任』)

天承元(1131)年5月11日、胡飲酒の勧賞で従五位下に叙されます。63歳。その後も数度栄爵を得ています。(『楽所補任』)

保延2(1136)年1月13日、死亡。前年の11月から重病のため参仕がなかったとあります。68歳。一者17年。(『楽所補任』)

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